母との確執 その後
ブログの過去記事を読んでいてびっくりした。
ほんの数年前のことなのに遠い遠いむかしのことのようだ。
なんと当時のわたしは母親のことを心配していたらしい。
この記事を書いてからしばらくのちに、またいろいろな事件が起こり、
母親に「わかってもらいたい」という想いを完全に手放した。
この記事から5年後の今、コロナ禍もあって2年近くまったく会っていない。
子どものころから何度も喧嘩もしたし感情的に訴えたり冷静に話したり手紙に書いたり、都度都度、精一杯ぶつけてきた想いがもうない。
怒りも悲しみもさみしさもない。
この人はわたしが死んでも悲しまないという確信に全く感情が動くことはない。
感情が動かないから怒りもわかずムカつきもせず会っても普通に話せると思う。
精神的に絶縁したので、他者として優しく接することもできるのではないだろうか。
でも平穏な心を手に入れた代わりに、失ったものもあるのだと最近になってようやく気付いた。
自分という人間の輪郭がどんどん覚束なくなってきている。
やはりもう一度あのころのように書き残しておかないといけない。