夢をおぼえている
子どものころの記憶で鮮烈に覚えているシーンは複数あって、リアルに体験したことのほかに当時みた夢がある。
今は目覚めるとすぐに忘れてしまう夢を、なぜこれほど鮮明に覚えているのか不思議だ。当時は目覚めると見た夢を頭の中で復唱するように何度も何度も思い返した気がする。それで記憶として定着したのだろうか。
夢を思い返すことを繰り返すうちに、若干脚色が加わっている可能性も否めないけれど、自分の中ではリアルに見た景色と夢で見た景色と写真で見た景色がきちんとカテゴリーわけされている。
夢は夢として記憶されているのだ。
何歳ぐらいに見た夢かは定かでないが、すごく記憶に残っている夢がある。
わたしが幼稚園時代に住んでいた家は平屋の借家が結構な戸数並んでいる、団地の平屋バージョンみたいなところだった。
平屋の借家が立ち並ぶ一角の道路をはさんだ向かい側に、四方を高い塀で囲われ樹木が鬱蒼と茂る大きなお屋敷があって、母から画家がそこに住んでいると聞いていた。
借家地帯から少し歩くと田んぼや畑があって、小さな丘っぽい森を抜けると神社とその隣にお寺があった。
神社の裏手にあたるその森と神社は借家の子たちの格好の遊び場で、鳥居の手前は小さな広場でブランコとシーソーなど簡素な遊具があった。
その夢は当時住んでいた場所の景色を色鮮やかに詳細に含んでいる。
現実にわたしが見ていた景色の記憶が夢とまざったものではなく、本当に夢の中でみた景色そのままなのだ。
起きたとき現実と夢の区別がわからなくなって混乱した気持ちもはっきり覚えている。
夢の中では、画家が住んでいる豪邸の立派な門の前に砂の山があって、その砂山の上にトラぐらいの大きさの真っ白いねこが優雅に横たわっていた。
一帯はそのねこに支配されている。
体形はトラだけれど真っ白いねこはわたしたち子どもに命令する、話すねこだった。
子どもだけではなく大人もねこの命令にしたがう。
大きな声でがさつに命令するわけではなく、高貴な雰囲気を漂わせながら命令するのだ。脅かすわけでも痛めつけるわけでもないが、支配されていることだけは嫌というほど伝わる。白ねこの命令には従わねばならない。
わたしは塀によじ登ってぐるりと回り画家の家を偵察するよう命じられて、塀によじ登った。木が生い茂りすぎて塀の上を歩くのが難しい。
それでも塀の上を歩いていくと樹木の切れ間があって中が見えた。平屋の豪邸と緑の芝生の広い庭があった。
この塀の上からみた中の様子が夢の捏造なのか、現実もそうだったのかがわからない。
たぶん夢の捏造な気がする。
他にもねこからいろいろな指令をうけてミッションをこなした。
心の底には恐怖があった。その白ねこが怖かった。
今でもこの白ねこの声を覚えている。
なぜなら、この白ねこが登場する夢を何回も繰り返しみたからだ。
白ねこのゆめを最後にみたのはいつのことなのだろう。
たとえ夢でみたことでも子どものころの情景を忘れずに覚えていられるのはありがたい。
写真も一枚もないし、子ども時代の話をすることもない。
子どものころの記憶がどんどん消えていくと本当に自分の輪郭が崩壊していくような気がするから。
白ねこのほかにも、シリーズものの夢を忘れぬうちに残しておこう。