☆サバイバル日記_日々徒然☆

乳がん手術後ホルモン療法中です。乳がん、卵巣がんを患った近親者がいる若い女性は必ず乳がん検診を受けましょう!note:https://note.com/mochi109

自分が断捨離されました

「生まなければよかった」という呪いのことばを子どもが親から言われるダメージは一過性のものではなく、大人になってもわだかまりが心のどこかに残っていたりします。

 

私たち世代は親から「うちの子じゃない!」レベルのことはよく言われて、慣れっこで育ってきた部分もありますが、特に幼い子どもに「存在を否定することば」を言ってはいけないと強く感じる出来事がありました。この年齢になっても親から自分の存在を否定されるとメンタルに受けるダメージは想像以上に大きかったからです。

 

ある日、母はわたしに言いました。

突然宣告されたわけではなく、なにげない普通の会話の連続の中に流れるようにさらっとその言葉はでてきました。明日はゴミの日だね。そうだね、ぐらいのニュアンスで。

母「写真一枚もないよ、アルバムもなにもかも全部捨てたから」..........え!?

私「わたしのも?赤ちゃんの頃のアルバムとか、高校の卒業アルバムとか、え......全部?うそでしょ」

母「結婚式の写真も何もかもすべて全部捨てたよ」

私「..........そうなんだ」

 

母は私の生まれた時からのアルバム、幼小中高の卒業アルバム、入学式七五三成人式結婚式やらの写真と実家に残してあったものすべてを捨てたそうだ。

正確にいうとわたしと弟のものすべて。

モノ、服、本、マンガ、CDなどはどうでもよかった。でも写真は........

この言葉を聞いたときの私の正直な感想は、怒りでも悲しみでもショックでもなく

【このひと、すげー】だった。

わたしは我が子の赤ちゃんの時からの写真を捨てられるだろうか。できない!捨てられない。

呆然としながら母に

「写真だけは捨てる前に連絡くれたら全部とりにいったのに。言ってよ!!!」とだけは言いました。母はなんと答えたんだろう。覚えてない。なにも答えなかったのかもしれない。

 

それからわたしは、感情はフラットでべつに怒りも悲しみも憤りもないけれど、写真のことが常に頭から離れない日々を過ごしていました(その時はわからなかった、今だからわかります)

自分の中では、実家に置きっぱなしにしていたのが悪い。結婚するときにアルバム等すべて持参する人もいるのに実家に放置していたんだから、捨てられてもしょうがない。と一応決着はついていました。

でも、記憶の中にある、アルバムに貼ってあった、私が3歳ぐらいで父とふたりで写っていた写真、あれだけは欲しかったな。とか、うっすらとした記憶のアルバムの中の赤ちゃんの自分をまるで脳に刻み付けるように思い浮かべてばかりいました。

 

東日本大震災で家を失い、写真や思い出の品など全部なくされた方たちもこんな想いをされたんだなと改めて考えたり。

数年前、震災で被災した母の実家に全壊判定がおりて取り壊しが決まった際、亡き祖父母の荷物を整理しにいった母が

「送った七五三や入学式の写真、大切にとってあったよ」

と、母自身が祖父母に送った、私や弟の写真を回収して戻ってきたことを思い出したり。

その祖父母宅から持ち帰った写真も今回全部捨てたのでしょう。

 

母がすべてを捨てたのには理由があって、いずれこのブログにも書いていきたいのですが、すべてをリセットしたかったのだろうな。と推測しています。

弟をいなかったものとして考えるという言葉を母の口からきいていましたので、

「わたしのこともだったんだ」とぼんやり思いました。

でも彼女は写真を捨てられたらわたしがどう感じるかとか、思い至らない。考えもしないというか。リセットされる側の気持ちはまったく除外されているらしく。

それが、今回の一連の騒動が原因で突然変わった結果かというと、そうではなく、昔から彼女にはそういう部分があった気がします。

 

昨年から度重なる、実家がらみのこの手の出来事でわたしは感情が動かなくなってきていました。

感情は動かないフラットなのに、気分はふさぐ。気持ちは落ちる。

やけに意味もなく悲しくなったり、だけど、淡々と日々が過ぎていき情緒不安定になって。

 

そんなとき、たまたま、かなり以前から約束していた観劇で友人と会いました。

この友人にはうちの実家の惨状も弟がうつ病になったことも何も話していませんでした。なのにこの友人に母親に写真をすべて捨てられた話をしました。ネタとして。

誰かに話したのは初めてで(夫にも言っていない)

友人は母を病院に連れていくように熱心にアドバイスしてくれました。

わたしは、この友人との会話の中で「すごいショックだった」というセリフを20回ぐらい言った気がします。

言いながら心が軽くなっていくのがわかりました。自分で「わたしやっぱりショックだったんだ」とういうのをこのとき初めて自覚できたのです。

気分がおちる原因が写真のことだとわかっていなかったので。

 

人に話すって、ものすごく大事だなって。

感情が動かなくなってくると、つらくてもどん底でも人に話すこともできなくなり

うつ病ってこうして発症していくのではないかと実感しました。

 

うつ病の人の周りの人間は、「つらいって言ってくれればよかったのに」と誰しもおもいますが言えるうちは大丈夫で、言えなくなったら病気の入り口。

 

友人が、自分がもし同じ状況だったら母のことを許せないかもしれない、激怒してしまうかもしれないと言っていたのにも正直救われました。

 

わたしは我が子の写真、大切に一生もっていたい。