母との確執②
母は昔から、言わなくていいこと、というより人として言ってはいけないことを平然と言う人だった。
わたしはかなり小さい子どもの頃から、この点に違和感を持ち続けてきた。
例えば障害をもっている子の親のことを「子どもを生まなきゃよかったと絶対思ってるんだよ」と断言する。母の言い方だとそう思うのが当然だといわんばかりだ。
障害をもって生まれた子を受け入れ、本気で愛している場合だっていっぱいあるじゃない!と主張しても、全否定する。そんなことありえないと…
すべてが万事そういう感じで、自分の価値観以外を理解しようとしないのだ。
母は人づきあいもキチンとできて社会性もあり仕事もしている、ごく普通の人。
トラブルメイカーなわけでもない。
おそろしいほど無神経でプライドが高いだけで。
それでも母の子である私と弟は、ちゃんと育ててもらい、しかも経済的にかなり甘やかしてもらい無事に大人になって独立した。
母に愛されてなかったなんて全く思わない。愛情はたくさんもらった。
ただ昨年、うちの家族内(弟一家と母)でのごたごたはお互いを傷つけあい、家族が空中分解した状態で修復不能なまま現在に至っている。
私は当事者ではない一番近いものとして、なんとか家族みんなが幸せに近づく着地点を模索していた。
そんなとき、私が心に完全にシャッターを下ろすしかなくなった母の発言。
私にむかって
「○○(弟)のことは、そんな子最初からいなかったと思うことにする。」
「最初からいなかったと思えば平気だから」
耳を疑った。あぜんとして、この人は何を言ってるのだろう…
しばらく言葉がでなかったが、
「そんなこと出来るわけないでしょ!!!、○○(弟)はお母さんが産んだ子だよ??」
というのが精一杯だった。
混乱したしショックだったし信じられないと思ったし、
そして、ああこの人は私が死んだら、この考え方で自分の心を守るんだ。
現実を受け入れようとしない。で、最初からいなかったことにされるんだ。。。。
百歩譲って、そう思うのは自由だけれど、口に出して言ってはいけないよ。
このときから、母を残して死ぬことにいっさい想いをいたすことはなくなった。
シャッターがおりた。
それでも、母は弟一家と完全に疎遠になり私しか母に連絡をとる人はいない状況は理解しており、心配でたまに電話はしていた。
そこでも拒絶感ありありで、迷惑ですといわんばかりに、何の用があって電話してきた、と必ず言われる。
ほとほと嫌になって、拒絶されているならちょうどいい、このまま音信不通で上等、
わたしも今後いっさい頼らないから、そっちもひとりで孤独に誰にも干渉されずに生きてけよ、勝手にしろ!というモードになっていた。
けれど、心のどこかで私だけはそれやっちゃダメという思いもくすぶっていた。
母の、気に入らないことがあると、すぐに人との関係を切ってしまうところが大嫌いで自分はそうはなりたくない!と反面教師にして生きてきたのだ。
そうわかっていても、もう母とは関りたくないという方向にどんどん流されていた。
そんなとき、わたしの誕生日に、まったく予想外にサプライズで誕生日のお祝いを仲間たちがしてくれた。
すごくすごくすごく、言葉にできないぐらい感激して嬉しかった。
仕切ってくれたのは、仲間うちで唯一私の病気のことを知っている友人。web寄せ書きを用意してくれたり、本当に感動して涙腺決壊をこらえるのに必死だった。
実の母親に拒絶され、いなくなるリスクが普通の人より高いのにいなかったことにされる私の誕生日を祝ってくれる友達がいる。
寄り添おうとしてくれる想いの優しさと暖かさに、これ以上ないほど勇気をもらった。
わたしは、どんなに拒絶されようと迷惑がられようと、母に歩み寄り続けるのだ。
あの人には友達なんてひとりもいない。夫も両親も兄弟も全員亡くなっている。
ひとりぼっちで自分の心を守るために壁を作っているのだろう。
「なんのために生きてきたんだかわからない」とも言っていた。
心の傷は簡単には癒えないかもしれない。
寄り添おうとしてくれる人の気持ちはとてもとても暖かい。
北風と太陽ではないけれど、あたたかく接し続ければいつかは心も開くかもしれない。
わたしがこう考えられるようになったのは友人たちのおかげだ。