☆サバイバル日記_日々徒然☆

乳がん手術後ホルモン療法中です。乳がん、卵巣がんを患った近親者がいる若い女性は必ず乳がん検診を受けましょう!note:https://note.com/mochi109

久々のブログ更新

ずいぶんブログを放置してしまった。

一度遠ざかるとなかなか書く気力がおきず、仕事で一日中PCと向き合っているためプライベートでPCを開く気にならないのもあって、ほっておいてしまった。

いつから書いていないのだろう....

時間軸にそって過去を振り返る気力もないので今について書きたい。

 

病気になったこと、実家の家族が崩壊したことで、自分が一番変わったなと思うことは

自分の感情を一歩引いて観察できるようになったことだ。

自分の負の感情、妬みやっかみひがみ劣等感コンプレックス、そういう感情も

「あ、いま私ひがんでるんだな」という感じでその場で自覚できるようになった。

今までは感情を捻じ曲げてとらえたり、感情を自覚したくないがゆえ自分以外に原因をこじつけたり、

たとえ、わかっていたとしても自分で認める気がなかった。

これを自覚をできたのは非常によかった点。

 

自分の感情に向き合えるようになった理由を考えてみると、

どうしようもない孤独感を知って絶望し、そこから上がってくるとき、

「孤独感」とうまく付き合っていくしか方法がない、がんになった以上生きている間は孤独感からは逃げられないと悟ったからだと思う。

 

こうしてブログをまた書き始めたのも、孤独感に押し流されないようにするためな気がする。普段の生活は、日常に追われあっという間に過ぎさりわりと平穏な日々をおくれていても、ふとしたきっかけでこの「孤独感」に襲われることがある。

こういうとき「助けてほしい」といえる人間になりたい、ならなくちゃいけない。

たとえ家族でも他人には言わなきゃ絶対に伝わらないし、察してほしいというのは傲慢だというのは重々承知している。

相手を自分の思いどおりに変えることは絶対にできないし、勝手に期待してそうしてくれないからと言ってキレるのは、わたしの中では罪悪を通りこして、最もしてはいけないことになってしまった。

こうなった原因は、母と弟のトラブルなのだが、このトラウマのせいでかなり苦しんでいる。

この考え方だと、自分に厳しすぎて「助けてほしい、理解してほしい、気にかけてほしい」が他人にいえない。

 

昨年一年間で、ひとに話したらドン引きされるぐらいの不幸に見舞われたけれど、

そのことを直接話した友人以外は、当たり前だが全く知らないし気づきもしないし、自分もまるでなにごともなかったかのように、ふつうに暮らしてきた。

 

そこで気づいたこと。

 

ああ、そうか、わたしがこれだけの苦しみ抱えても平然と暮らしてるってことは、

わたしからみて、いつもと変わらぬ普通だと感じてる人々ももしかしたら、

すごい悲しみや苦悩を抱えて生きているのかもしれない。

わかってなかったんだ。

そんな当たりまえのことを深く実感した。

 

悩みというのは誰でもあって、当人にとっては生死に関わらなくてもつらいことは本当につらく、幸せかどうかも本人の感覚次第で他人にはわからない。

がんの孤独も特別なものではないんだって、心から納得いったら

ひとやま本当に越えられる気がする。

 

人は独りでは生きられない、これは本当にわかった。