☆サバイバル日記_日々徒然☆

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はるみちゃんとなおみちゃん

幼いころに住んでいた借家地帯。

同じ区画に平屋が二件づつならんで建っていて、その間を碁盤の目のように通路が通っていた。区画のそれぞれの借家に庭らしき部分もあって、花壇を作ったり小さな畑にしている家も多かった。

同じ敷地に建つお隣さんではなく、通路を挟んだ向かいの借家に双子の女の子が住んでいた。一卵性双生児で顔も体つきもそっくりなふたり、はるみちゃんとなおみちゃん。

わたしが幼稚園生のころ、彼女たちは中学生ぐらいだったのだろうか。
お父さんとはるみちゃんなおみちゃんの三人暮らしでお母さんはいなかった。

当時は珍しい父子家庭だった。ご両親が離婚されたのか死別かなどは、もちろん知らなかった。なぜはるみちゃんとなおみちゃんちにお母さんがいないのか、母に尋ねた可能性もあるが答えを全く覚えていない。

 

リアルなふたりの容姿の記憶はない。
わたしのふたりの外見の記憶は、写真で見たものだ。
その写真を再び見ることはかなわないが、アルバムに一枚だけ貼ってあった写真の洋服、髪型、表情、姿が丸っとそのままはるみちゃんとなおみちゃんの記憶に補完されて、わたしの中では写真の外見のままのふたりが動いたり話したりする。

 

写真にはふたりと一緒にわたしも映っていたと最近まで思っていたが、願望からくる妄想で記憶を捏造したのかもと思うようになった。
その写真に映っていたはずの自分の姿がまったく思い出せないからだ。

長い黒髪をセンター分けしたふたりが立っている写真は鮮明に覚えている。その真ん中にちいさなわたしが映っていたと思い込んでいただけな気がする。

きっと別ななにかの写真の記憶と混ざったのだ。


 

当時、はるみちゃんとなおみちゃんのうちには電話がなくて、我が家が電話の取次ぎをしていた。

彼女たちのお宅あての電話がかかってくると、彼女たちを呼びに行った。
彼女たちやお父さんが電話を使いたい場合はうちにきて、たぶん10円ぐらい払って電話を使う。
何も疑問に思わない日常だった。
お味噌や砂糖やお醤油を彼女たちが借りに来ることもよくあった。
借りるということばを使うのは返しますという気持ちの表れだったのだろうが、母は別に返してもらう気などなかったと思う。煮物やお惣菜などいっぱい作って、よくはるみちゃんとなおみちゃんのうちにお裾分けしていた。

 

そういう関係だったせいもあり、わたしはふたりにとてもかわいがってもらっていた。
借家地帯の子どもたちのなかでわたしは、自分の弟を含めつねに小さい子の面倒をみる立場だった。(自分より年上の子たちに小さい子たちの面倒をみるように命じられていた)

あの時代は現代では考えられないが、子どもの遊びに親は付き添わずたいてい子どもだけの集団で遊んでいた。上下関係もあったし大きい子が小さい子のためにつねに我慢するというのは世の常識だった。
現代のように子どもの気持ちに寄り添う系の育児がなされている家庭など、当時あったと思えない。

 

 

今でもその時の嬉しかった気持ちがよみがえるほどの思い出は、はるみちゃんとなおみちゃんのおうちに遊びに行って、シーツの両端をもったふたりがわたしをシーツに乗せてブランコのように揺らしてくれたことだ。
はるみちゃんとなおみちゃんのおうちの居間はあまり家具がなくてがらんとしていた印象がある。そこでシーツブランコをしてもらった。一生忘れないと思う。
かわいがってもらえて甘えられた記憶はわたしにとっては本当に貴重で大切なものだからだ。

 

 

その後、はるみちゃんなおみちゃん一家は引っ越していった。

あの夜のことは写真ではなくリアルな記憶として鮮明に覚えている。

寝ていたわたしは、ガッシャーーーーンというガラスの割れる音で飛び起きた。
当時のガラスは現代のサッシに使用されるガラスと違ってとても割れやすく、窓ガラスが割れたりヒビが入ることは珍しくないが、あんなに大きな音をたてて割れる場合粉々になっているということだった。
それと同時に男性の怒鳴り声、叫び声が響き、わたしはあまりの恐ろしさに布団をかぶって耳をふさいだ。

これは後日母から聞いた話だが、うちの父がゴルフクラブを持って外に飛び出すと、はるみちゃんなおみちゃんのお父さんが暴れていた。
彼は酒乱でたまに夜中に大きな声が聞こえてきたこともあったが、あそこまで派手に暴れたのは初めてだったそうで、警察に通報したとのこと。

 

その事件があったあと、しばらくしてはるみちゃんなおみちゃん一家は引っ越していった。
あの頃は全然わかっていなかったが、はるみちゃんとなおみちゃんの家庭は複雑で大人になって考えるといろいろ大変だったと思う。
父子家庭でお父さんは酒乱。でもあのお父さんは普段はとても穏やかで優しい人だったのだ。
はるみちゃんとなおみちゃんはつらいことがいっぱいあったと思う。

でもふたりとも明るくて優しい人だった。
ふたりがくれた思い出というのはわたしにとっては本当に大切なものだと改めて感じている。