話せた人、話せなかった人
がんと診断確定してから入院までの約一ヶ月半の間にたくさんの友人に会っている。
上の子の役員会に体育祭、下の子の授業参観、保護者会、所属しているサッカーチームの試合応援。
しこりを発見し通院を始めた当初からママ友には一切話していなかった。もちろん、がんが確定しても話すつもりはない。乳がん先輩であるたった一人のママ友を除き。
不思議なことに子ども絡みの行事でいろいろなママ友に会ってお喋りしたり笑いあっているときは、がんであることをすっかり忘れており意識して隠しているつもりもなかった。
1人でいるときは常に不安と孤独感でいっぱいで泣いても泣いても涙が止まらず、メンタルはボロボロだったのだが。
オペ後の治療を考えたとき、この時点で乳房温存で放射線治療は必須、ホルモンレセプター陽性でホルモン治療も確定。もしリンパ節転移していたりがんの悪性度が高かったら抗がん剤治療、病理検査でHER2陽性だったらハーセプチンだ。
抗がん剤治療になると、骨髄抑制、体調不良、脱毛等で人に会うのも難しくなる、というか人に会う気がなくなるだろう。
会いたいと思っている人にはオペ前に会っておこう、がんのことも話すと決めてアポをとった。
久しぶりに会って話もはずみ楽しくお喋りしながら、私は言おう言おうとタイミングをはかっていた。
でも結局最後まで言いだせず、がんのことは話せぬまま、さよならした。
そのときから、ずっとずっと何で伝えられなかったのだろうと考えている。
がんであることを話すと、その人の中で「私」が「がんになった私」に上書きされてしまうことが嫌で耐えられなかったのかもしれない。
以後ずっとオペが終わろうと時間が経とうと「がんになった私」と思われている気がしてしまう。相手は全然そんな風に思っていないとしても問題は自分の側にあった。
心を探ってみると、がんになったことを「恥ずかしい」と思う気持ちも確かにあった。
なんだろう、こんなダメ人間だからがんになっちゃうんだ...というコンプレックスを根っこにした中二病みたいな気持ち。いじめられている子がプライドにかけて「いじめ」を認めず誰にも相談しないのに似ている。そして一番大きな理由:元来の性格の意地っ張りと強がりが災いし言えなかった。のだと思う。
逆にメンタルの弱りっぷりがピークになり孤独感に押しつぶされそうになったとき、言わないと決めていた友人を呼び出し、さんざん弱音と愚痴をぶちまけるということもしでかした。
また絶対に話そうと決めていた友人からは、なぜか突然会いたいという連絡が友人のほうからきた。会ったときに虫の知らせだねと笑いあい、やっぱり繋がってるんだと思えた。
頭で考えての行動よりも、感覚的にエモーショナルな部分で、自分がどうなっても受け入れてくれる相手、信頼している相手ってちゃんとわかっているのかもしれない。
家族以外で自分の口からオペ前にがんを伝えることが出来た4人。
とてもとても大切なひとたちだ。
本当に支えてもらった。
これから必ず恩返しをしていく。
そして今後わたしの友人たちの中で
がんになってしまう人が万が一いたら、全力で支えていきたい。